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東京地方裁判所 昭和29年(ワ)3222号 判決 1957年4月26日

東京都目黒区平町六六番地

原告 佐藤金作

右訴訟代理人 野村千足

東京都中央区銀座三丁目一番地一七

被告 碌々産業株式会社

右代表者代表取締役 野田精一

右訴訟代理人弁護士 森岡三八

主文

被告は原告に対して金七五万二千円及びこれに対する昭和二九年四月一一日から支払済まで年五分の割合による金銭を支払うこと。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを四分し、その一を原告、その余を被告の負担とする。

この判決は原告において金二五万円の負担を供するときは仮りに執行できる。

事実

(双方の申立)

原告は、被告は原告に対し金九〇万円及びこれに対する昭和二九年四月一一日から支払済まで年五分の割合による金銭を支払うこと、訴訟費用は被告の負担とするとの判決及び仮執行の宣言を求め、被告は請求棄却の判決を求めた。

(原告の請求原因)

被告は訴外大明物産株式会社に対し、(一)昭和二八年五月一〇日金額四六万円、支払期日同年七月三〇日、振出地、支払地ともに東京都中央区、支払場所株式会社富士銀行銀座支店なる約束手形を、(二)昭和二八年五月二〇日金額四四万円、支払期日同年八月一〇日その他の要件(一)と同様の約束手形を振出し、原告は右訴外会社から右二通の約束手形の裏書をうけ現に右手形の所持人である。原告は支払期日に支払場所に右二通の手形を呈示して支払を求めたが支払を拒絶されたので、被告に対して右手形金合計九〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日(昭和二九年四月一一日)から支払済まで年五分の割合による損害金の支払を求める。

(被告の答弁)

被告が原告主張の手形を振出したことは否認する。その他の事実は知らない。本件手形はいづれも訴外永井敏夫が偽造したものである。

(原告の予備的請求原因とこれに対する被告の答弁)

原告は、もし本件手形が訴外永井敏夫の偽造に係るものだとすれば、右訴外人は被告会社の経理部長として経理事務万般を処理していたもので、本件手形二通はいづれも右の事務に関連して振出されたものであるから、昭和三二年一月三〇日付準備書面引用に係る別紙「請求の原因」記載のとおり、民法七一五条によつて使用者たる被告会社に対して原告の蒙つた損害の賠償を求めると述べ、これに対して、被告は昭和三二年三月一四日付別紙準備書面記載のとおり陳述した。

(証拠関係)

原告は甲第一、第二号証の各一、二、第三、第四号証を提出し、証人藤田博正、宮本保彦、岩崎容明(二回)永井敏夫及び鑑定人遠藤恒儀の尋問を求め、乙第一号証の成立及び原本の存在並びに爾余の乙号各証の成立を認め、

被告は乙第一ないし第四号証(乙第一号証は写)を提出し、被告会社代表者野田精一の尋問を求め、甲第一号証の一及び第二号証の一は被告の振出部分の成立を否認し、その他の部分の成立は不知、第一、第二号証の各二の成立は不知と述べ、第三号証の成立を否認し、第四号証はその成立を認めた。

理由

遠藤鑑定人の鑑定及び証人永井敏夫、被告会社代表者野田精一の各供述によれば、本件二通の約束手形はいづれも訴外水井敏夫が偽造したものであることが明らかなので、被告には振出人として手形金を支払うべき義務はない。

よつて、原告の予備的請求について判断する。

証人永井敏夫及び被告会社の代表者野田精一の供述を綜合すれば、

(1)、被告会社には十名から十二、三名の社員がいて、営業部、経理部等の部課制はとつていないが、経理事務は事実上訴外永井敏夫外二名の社員がこれを担当し、永井敏夫は経理担当の社員のうちでは上席の年長者なので、社長の野田精一から対外折渉の便宜を考慮し経理課長の肩書を使用することを許され、社長の指示の下に取引銀行との交渉にも当り、金銭の出納、手形、小切手の授受等の経理事務に従事していたが、同人には手形、小切手の振出権限はなく、手形、小切手の振出は社長の専権に留保され、経理担当の社員が金額その他の要件を記載した手形、小切手を社長に呈示し、社長自からこれに署名捺印して振出す取扱になつており、この取扱は事故の発生を防止するため長年にわたつて守られてきた一貫した扱いで、社長が旅行不在等の場合には手形、小切手の振出は一切ストツプされていたこと、

(2)、本件約束手形二通は永井敏夫が被告会社で購入しておいた手形用紙に会社備付けの「碌々産業株式会社取締役社長」のゴム印を押し、「野田精一」の署名を偽書し、その名下に偽造印を押して偽造したものであつて、社長の印鑑は事務室の隣りの社長室の金庫内に保管されていて社長以外の者がこれを使用することはできない状態にあつたことが認められ、また、

右の各供述に証人藤田博正、宮本保彦、岩崎容明(第一回)の各供述並びに成立に争のない甲第四号証及び乙第一ないし第四号証(乙第一号証については原本の存在についても争がない)を綜合すれば、

(3)、永井敏夫は野長瀬某及び大明物産株式会社の取締役岩崎容明に依頼されて、同人等がもくろんでいた硫化鉄鋼の採堀資金を調達するため、前記の方法によつて昭和二七年一一月頃から二八年五月頃までの間本件手形二通をふくめて三十数通、金額合計千数百万円の被告会社名義の約束手形を偽造してこれを岩崎容明に交付し、同人において大明物産株式会社の裏書をした上、金融ブローカーの藤田博正や宮本保彦を介して原告等から手形割引の方法によつて金員の提供をうけていたものであつて、一方、永井敏夫は被告会社の取引銀行である株式会社富士銀行銀座支店に被告会社の別口口座を設け、その口座に資金を預け入れて偽造手形の決済資金に充てていたため、昭和二八年六月頃までは二十数通の偽造手形が無事に決済されてきたこと、また、永井敏夫は右ブローカーの問合に対し経理部長の名称を用いた間違のない手形であることを言明し、その旨の社長野田精一名義の偽造確認書(本件手形については甲第三号証)を交付しており、右ブローカー等は取引銀行についても調査し、間違いのない手形であると信じて原告等に割引のあつせんをしたものであることが認められる。従つて、本件原告も本件の偽造手形を真正なものと誤信して割引いたものと推認するに十分である。

しかして、成立に争のない乙第四号証によれば、原告は金額四六万円の手形に対しては少くとも金三八万五千円を、金額四四万円の手形に対しては少くとも金三六万七千円を割引金として支払つていることが認められるので、原告は右手形割引によつて合計七五万二千円の損害を蒙つたものということができる。

右に認定したところからすれば、被告会社は、民法七一五条の規定により、その被用者たる永井敏夫の前記不法行為によつて原告の蒙つた損害を賠償する責任があるといわなければならない。以下、この関係を具体的に明らかにする。

被用者の加害行為が使用者の事業の執行についてなされたものであるかどうかは、行為の外形からみて当該の行為が使用者の事業の範囲に属するかどうかによつて決すべきものであるといわれているようであるが、もしこうした考方を徹底すれば、手形の振出が商事会社の業務の範囲に属するものであることは何人にも異論のないところであるから、いやしくも会社の被用者が会社名義の手形を偽造してこれを流通に置いた場合には、その担当職務の如何にかかわらず、例えば小使や守衛が偽造した場合にも会社は常に第三者に対して使用者責任を負担しなければならないことになる。しかし、こうした見方が正しいものであるとは思われない。民法七一五条はその但書で、使用者が被用者の選任及びその事業の監督につき相当の注意をなしたるとき又は相当の注意をなすも損害が生ずべかりしものなるときは使用者の責任を免除している。この規定の趣旨から推せば、被用者がいわゆる事業の執行につきなしたる行為として使用者がその責に任ずべき行為の範囲は、使用者が通常被用者に対して業務上の監督を及ぼすべき範囲内の行為、いいかえれば被用者の担当する職務行為に関連して生ずることあるべき危険な行為に限られ、この範囲内においていわゆる外形標準によつて使用者の責任の有無を定めるのが相当であると思われる。こうした見地から本件をみると、永井敏夫の手形偽造は被告会社で購入していた手形用紙と会社備付けの「碌々産業株式会社取締役社長」のゴム印を使用している点で職務行為との関連がないとはいえないが、社長の野田精一の署名押印は全くの偽書偽印によるものなのであるから、例えば経理課員がその保管する社長の記名印や印鑑を盗用して手形を偽造したような場合とちがつて、職務行為との関連はごくうすく、たまたま被偽造者が自己の勤務先の会社だというだけのことであつて、第三者が被告会社の手形を偽造した場合とほとんど択ぶところのない関係にあるともみることができるのだから、この点だけからみれば永井の本件手形偽造を被告会社の事業の執行につきなされた行為と解釈することは無理なように思われる。手形に関する行為は一般的にみて経理担当社員の職務行為の範囲内に属するから、その社員が会社名義の手形を偽造した場合には、偽造の方法ないしは態様の如何を問わず常に職務行為と密接な関係のある行為として、いわゆる事業の執行につきなしたる行為にあたるというような見方は決して正しいものとは思われない。しかしながら永井敏夫は、前認定のように、事実上経理課長の肩書を使用することを許され、取引銀行とも折渉することを許されていたのであつて、永井はこの地位権限を濫用して、前記のように取引銀行に別口の口座を設けたり、ブローカーの問合せに対して真正な手形であることを言明したり、その旨の偽造確認書を交付したりして相手方を欺罔し、割引金名義の下に金銭を詐取していたのである。前者は職務行為そのものであり、後者はこれと密接な関連を有する行為である。従つて、本件の偽造手形による割引金の騙取を一連の行為として全体的に観察すれば、それが永井敏夫の被告会社の事業の執行につきなしたる加害行為であることは疑の余地がないといわなければならない。従つて、この点に関する被告の主張は結局において失当である。

被告はいわゆる選任監督について過失がないというが、前記のように永井敏夫が取引銀行に対して工作したり、偽造確認書を発行したりして長時間にわたつて多数の偽造手形を流通せしめた事跡に徴すれば、選任の点は暫らく措くとしても、少くとも事業の監督について過失があり、原告の損害はこの過失がなければ生じないで済んだ損害と認める外はないから、被告の右抗弁は採用できない。

被告は、また、原告は裏書人たる岩崎容明の依頼によつて手形を割引いたものであり、裏書人は手形の文言に従つて責任を負うべきものであるから、原告は岩崎に対して手形金の支払を請求すべきものであつて、永井の手形偽造と原告の蒙つた損害との間には因果関係がないとか、原告が被告会社の社長に手形の真否について問合せずに割引いたのは原告の過失であるとかいうが、証人藤田博正、岩崎容明(第二回)の証言によれば、原告は専ら振出人たる被告会社の資産信用を引当にして割引をしたものであることが推認され、且つ、裏書人たる大明物産株式会社は全くの無資産で遡及義務に応ずる資力が全然ないことが認められる。また、手形は典型的な流通証券なのであるから、割引に際していちいち前者にその真否を照会するべき義務があるものとは思われないし、ことに本件の場合には前認定のとおり被告会社の事実上の経理課長たる永井敏夫に対して真否の問合せがなされているのであるから、被告の右の抗弁も採用することができない。

右に判断したとおりであるから、被告は原告に対し金七五万二千円及びこれに対する訴状送達の翌日たること記録上明らかな昭和二九年四月一一日から支払済まで年五分の割合による金銭を支払う義務があり、原告の請求はこの限度において理由があるので、主文のとおり判決する。

(裁判官 石井良三)

<以下省略>

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